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ドラマ「二人の世界」

この2月、3月に日本映画専門チャンネルで昔のドラマ「二人の世界」が放映されていたのだが、放送スタート前の1月に全話一挙放送の日があり思わず見入ってしまった。
とても懐かしいドラマで私がまだ小学校低学年から高学年の期間に平日の午後1時頃に観ていた記憶があるのだ。
Wikiでドラマの詳細を確認すると<『二人の世界』(ふたりのせかい)は、1970年12月1日から1971年5月25日までTBS系列、「木下恵介アワー」枠で放送されたテレビドラマ。脱サラして喫茶店(スナック)を開く夫婦の愛を描いた作品。あおい輝彦の歌う主題歌「二人の世界」もヒットした。>とあり、初回放映は夜のドラマ番組だったらしいが、私はその数年後に昼ドラ枠でたぶん繰り返し再放送されていたものを観ていたようだ。
なぜ平日の午後に観ていたのかというと、私は幼稚園から小学校にかけて風邪で学校を欠席することが多く、このドラマは風邪を引いて3日ほど学校を休んでいた、なおかつ、熱が下がり体調も戻りつつある、寝ているのが退屈になってきた2日目あたりの昼下がりにこのドラマを観ていた記憶が強烈に焼き付いているのだ。その時の昼下がりの部屋に差し込む暖かい日差しが今も鮮やかに体感として蘇ってくる。
昼食に玉子粥とかうどんとかを作ってもらい食べた後、母が夕飯の食材を買いに行くから留守番しているように、風邪が「ぶり返さない」ようにウロウロせずに布団に入っているように、いつまでもグズグズしてこっちに迷惑かけないでね、あんたが学校休んだら誰に一番メーワクかかってるのか判る!?みたいなたたみかけるような小言の後、外出する母の足音が遠ざかるのを確認後、ゴソゴソ起き上がってテレビのスイッチオン。30分枠のドラマだったので近所の"市場"から母が帰ってくる前には終わるのでばれずにすんだ。
休んだ日のみのスポットで見る連続ドラマの全容は判らず、しかし、なぜか私が観るタイミングのシーンは若い夫婦が脱サラをスタートさせ当時"スナック"と呼ばれていたらしい喫茶、軽食夜はアルコールも出るカジュアルなカウンターのある白くて小さな店内で繰り広げられるエピソードの回を、繰り返し観ていたような曖昧な記憶があるのだ。もしかしたらドラマの再放送と私の風邪を引く周期が偶然一致していたのかも知れない?しかしながらなにしろ子供だったので、「若い夫婦がお店を立ち上げてがんばっているお話」という程度の理解だけで細かい大人の会話や脱サラに至った経緯など全く判らなかったのだが、なぜかこのドラマがあおい輝彦が歌う主題歌ともどもお気に入りで、風邪ひいたときの午後のお愉しみだったのだ。

今年の1月に全26話一挙放送されたときに私は自分が子供の頃に観ていたのは、26話の中間地点以降の後半部だったいうこと、ストーリー全体がこの年齢になって明らかになったこと、そして、若い夫婦の夫が脱サラに至るまでの経緯、企業に勤めるなかでの挫折、葛藤、迷い、その中での夫婦の会話が、ちょうど10年ほど前のダンナが長年勤めていた企業を辞める前後での私とダンナの間でのやり取りと重なることの多さに、驚き、感心してしまった。時代は変われど、長い結婚生活の中で起きるアクシデント的な出来事の中で、男と女の感性や価値観の違いが浮き彫りになっていく、という普遍的なものを感じた。私たち夫婦はこのストーリーのような理想的な展開で最終回を迎えたのとは真逆の、躓き、禍根すら残し現在に至るのだが、これはまあ、ドラマで描かれる内容と現実とが違うのは当然で許容範囲だろう。そして現実はドラマよりも苦しく深く面白い?う~ん・・・そんな風に達観するところまでいっていないなあ・・・今はまだ。

で、ちょっと思ったのが、当時世間で喫茶店(スナック)がいっぱいオープンした時期と一致しているような気がして、それはもしかしたら、このドラマの影響があったのかなあと・・・そしてその頃の喫茶店が今も街角で残っていたりするとノスタルジーがくすぐられて入ってみたくなる。

そしてそして、妻役の栗原小巻さんが、子供の頃にはぜーんぜん判らなかったのだが、とても綺麗な女優さんだったんだ!!と気づきました。ほかにも昔のドラマを観ていて、多岐川裕美さんや金沢碧さんといった女優さんたちの子供には判らない美しさにうっとりするのでした。
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お雛様のエネルギーかしら?

2月の最終週は素敵な女性達から癒しのエネルギーをもらいましたo(^▽^)o

月曜日はほぼ一年ぶりに友達とおしゃべりのひととき
中学、高校と同じ学校で、その後交流はなかったのですが
二十歳半ばの頃に当時勤務していた企業で再会。それ以来のお付き合い。
「コメダ珈琲」に行ったことがないとのことで、うちの近所の店舗でモーニングタイムに待ち合わせ。
最近のスーパーは品質が良くなってきたとか、保存食作りの話、どこの鍋が使い勝手が良い、悪いとか
老親達の話、ついつい私も友達も精神的にしんどい母親についてが中心になってしまうのだが・・・
モーニングだけで二時間近く話し込んでしまったけど、前日、前々日と体調がすぐれずに気持ちが落ちていたのが
彼女との他愛ないおしゃべりしたことがスイッチになったようで上向きになって回復した。

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仲良くしてくださるマダムから可愛らしいお品が届きました(o‘∀‘o)*:◦♪
季節の折々に美しいお便りをくださいます。
美しさ、かわいらしさが溢れるお葉書やレターグッズ
送られる側のことを思いながら吟味して選んでいらっしゃることが伝わってきます。
目には見えない繊細でさりげない優しさも一緒に郵便物で届けることができるって
なんて素敵な感性の女性なのだろうと憧れてしまいます。

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お雛様エリア完成。なんとか桃の節句に間に合いました。毎年、このささやかな飾り付けに気づいてくださる方々に、箱の中で眠っていたお雛様たちも華やいだ気持ちになっているのを感じます。

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今年もニューフェース加入しました+゚。*(*´∀`*)*。゚+





季節の味覚

おせち料理のかんぴょうって一袋買っても昆布巻きだけに使うから、あと半分以上残って使うことなく古くなってしまい毎年結局捨ててしまう。何か料理に利用すればいいのだけれど、冷蔵庫の片隅に眠る存在に気づいてもなぜかつい見て見ぬふりしてしまう。
ということで使い切るために節分にテキトー巻き寿司を作ってみることに。
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4本巻いたけど、それでも、かんぴょう、残ってしまった。
巻きずしの具はたまご、煮あなご、かんぴょう、乾しいたけ、高野豆腐、菜花
丸かぶり、北北西に向かって、ダンナに「やりたかったらどうぞ」と渡す。
半分くらい、かじって「あほくさ」と中断。
そもそもこんなお行儀悪い風習なんて昔あるわけないし。

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昨日は今季最後の柚子仕事。昨年末の柚子をようやく着手。数個程度柔らかくなったり白いカビが出ていたけどほとんどがしっかり劣化していない。今年は気温が低いせいもあるが、無肥料無農薬の農産物は本当に強く日持ちする。
ゆず皮を冷凍、柚子胡椒少々、柚子酢を瓶詰、あとはシロップとジャム、種も乾かして、
それでも余った部分はお風呂に浮かべて。柚子ほど万能で優秀で廃棄率のほぼない柑橘はないと思う。

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びわ葉エキスを作るために玄米焼酎を取り寄せたときに、ついでに寺田本家の香取90という自然酒を注文したら、予定より早く昨日到着した。そしたら同じ日偶然に友達が毎年恒例の舞鶴の牡蠣を届けてくれた。殻付牡蠣を焼いて生姜醤油少々で、酸味のある香取、ちょっと熱く燗してしまったけど、全然味が落ちることもなく。冷めてきてぬるくなってきた時にぐっとまた天然のアミノ酸的な旨みが出てくるような気がしました。牡蠣の他には、大根おろしと昆布出汁を温めて湯豆腐。巻きずしの具のかんぴょう、椎茸、高野豆腐の煮たのもまだ残っていたから、そこに玉ねぎを足して、卵と一緒にとじて和風オムレツ?
今夜は牡蠣のむき身がまだ残っているので、おでんの種の一つに入れて楽しむことにしようかな。

あるときから夜ごはん的な外食はほとんどしなくなってしまった。家にあるもので充分満足。
逆に家の中の美味しいものからたまに離れたいときもあって?、ときどきフツーの喫茶店やうどん屋で息抜きするようになった笑








一人の夜は・・・

だんなが福祉施設に勤めるようになってから月一、二回ほど宿直勤務があるので、その夜は私は一人。

昼間はダンナの通勤時の服や寝間着などをチャンスとばかりに洗濯したり、近所のスーパーのはしごをして、最近設置されているカフェコーナーで安い珈琲飲んで一息したり、書籍コーナーで立ち読みしたり。一昨年にセントラルスクエアというスーパーライフのコンセプトショップが出来て、自然食ショップに並んでいるような食材もちらほら販売されているので商品アイテムの動向をチェックするだけでも結構遊べる。もう一件ある既存のスーパーライフも相乗効果なのか、「タマヤパン」とか「ノースカラーズ」のお菓子とか、ちょっといい商品も置いてあったりするし、いやあ~少し前までの京都のこの辺りの地域には皆無だった、ナチュラル、無添加、オーガニック系の食品が少しずつではあるものの、目に入ってくるのは、非常に感慨深いものです。

明日も日曜日で何も予定はないので時間を気にせず、夕食も残り物で間に合うし、らくちんらくちん。うちのだんなは全然手間のかからないどころか、とてもまめで家庭的な人なのに関わらず、夜いないのはとても開放的な気分になるってことは、一般的な、何も手伝わないかさばるダンナだったら、私はたぶん無理やったやろうなあ、普通の結婚生活はとうの昔に務まらなかったに違いない。じゃあ、独身を貫くキャリアウーマンで勤め上げるでもなく、本当に、どうしていたんだろう。ああこわ。

で、ダンナがいない夜は最近お気に入りのセントラルスクエアでひっそりと販売されているベルギービールを晩酌にしています。
(ダンナはちょっと甘いというので一人の時飲むことにしている)
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私は日本酒でも、純米酒のキレはそれほどでもないもっさりした小さな蔵元の地酒が好きなのですが、「BELGIAN Pils」という名前のこれも、ベルギーの無濾過ぽい麦の甘みと雑味を感じるもっさり地ビールなのかな。長岡京市の会社が扱っているようだが。この味はあまり売れないと思うので、いつかセントラルも置かなくなるかもしれないなあ。私はそういう売れ筋でない商品が好きなことが多いので、今からちょっと心配。

ちょうど明日は日曜日で予定もないし、だんなも午後にしか戻ってこないし、ちょうど日本映画専門チャンネルで特別企画で19:00から「伊丹十三作品」が連続放映しているので、その地ビールで残り物をアテにして、深夜までうとうとしながら、鑑賞する予定。

「お葬式」とか「タンポポ」とか「マルサの女」とか若い頃、観に行ったなあ~中学生の頃から好きだった山崎努がキャストの作品が多くてそれも伊丹作品を好んだ大きな理由でした。なにやらアメリカでは「タンポポ」がヒットしたらしく、ラーメンブームの火付け役だったとさっき映画が始まる前に「タンポポ、ニューヨークへ行く」というドキュメンタリー番組で説明されていて、タンポポに魅了された複数のアメリカ人たちが有名らしき評論家なども混ざって絶賛していていて笑ってしまった。

私にとっては伊丹作品は社会派なテーマなのに、真剣に見入る映画ではなくて、お酒飲みながら、パソコンで調べものをしながら(ここしばらくネット検索はたいてい親たちの病気について調べている)、バックグラウンドで流れているプロモーションビデオみたいな位置づけなので、アメリカのコアなファンたちがタンポポは何度も観た!!とか、好きすぎてラーメン店をオープンしていたりとか、びっくりした。

伊丹十三は俳優だったけど、役柄で記憶にあるのは大映映画である時期リバイバルで若い女の子たちにちょっと流行っていた大映映画「黒い十人の女」の中村珠緒役の相手役。チョイ役で大根やったなあ。そしてとっても若い中村珠緒が超キュートでした。

タンポポ役の宮本信子を最初に見たのは子供の頃に見た石立鉄男が主役の「お控えあそばせ」というドラマの長女梅子役。
どうして、こんなことだけよく覚えているのかなあ~

伊丹作品はストーリーの中にエロティックなシーンをちょこちょこちりばめるのが好きなようですが、タンポポでは、まだ若くて線の細い役所広司が海女役の少女の手から生ガキを食べるシーンが今観ると、なんだかよかった( ´艸`)・・・海女役の少女、なんと、洞口依子!!
伊丹さんは、その後のアメリカでのヒットといい、洞口依子といい、ラーメンを評する男たちの描写はまるで食べログラーメン部門やし、どうもあまりにも時代を先取りし過ぎて早世してしまったように感じる。





穏やかな節分、立春

昨日は節分。ちょうど母親の通院日でした。
京都駅前の漢方内科には健康診断の胸部レントゲンに異常が見つかって以来通い始めて4年目、昨年の6月にMCI(軽度認知障害)と"公式認定"(苦笑)されてからはもう一件、認知症対応のサプリメントをもらいにどちらも月一回、通っているのですが、毎回付き添っています。
普段なら、それぞれの診療所を一日に一か所、日を変えて通っているのですがお天気が良く気温もいつもより上がる予報だったので思い切って二か所一度に行ってしまうことにしました。
通院は母の足を鍛えるリハビリの意味合いもあります。

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まず予約制の京都駅前の診療所の診察後、バス移動して、壬生の診療所に。
バスに乗る前に京都駅前の小川珈琲でモーニングで一息。
数年前からそれまで出かけてばかりいた母親がめっきり出不精になり、頻繁に友達とランチなどに四条界隈にもでかけていたのが今は友達のお誘いを断ってばかりになりました。私と通院日の帰り道にカフェなどでお茶をする程度で充分楽しく満足なのだそうです。

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診療所の並びにある民家の飾り窓は毎月模様替えをしておられて、それを眺めるのが楽しみです。
京都の洛中にある民家はこういう飾り窓のついた家が多くて人形や生け花が飾られているのは目を楽しませてくれます。

この診療所に通うようになって、8か月ほどですが、必ず帰りに近所の壬生寺さんにお参りする習慣ができました。
久しぶりの壬生寺さんの節分。
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確かに賑わっているのはたしかではあるものの、お寺の中も、壬生寺道にある幸福餅のきんつばの行列も、十数年前と比べると、活気がずいぶん減っている気がしました。平日のまだ昼間だったせいなのかもしれませんが、やはり、こういう行事が日常の暮らしに根付いていた母世代以上の人たちが亡くなったり、生きていても歩けなくなったりで少なくなってきているのでしょう。
母も十年くらい前までは、「お年越に行かな」と壬生寺道の陶器屋さんで焙烙(ほうらく・素焼きのお皿)に家族の名前と年齢を毛筆で書いてもらってから、壬生寺さんに奉納しお札とだるまさんを買い、壬生寺の北、四条通りに面した元祇園椥神社で前年のお札を燃やしてもらうという一連の流れをこなしていたのですが、今は私が提案しない限りは行く気力はもう失せてしまっています。昨日も宝楽もお札もすっかり忘れているようで、ただお参りしただけで終わりました。
信心深さのない私にとっては、節分やお盆などの行事は昔、母親と一緒にでかけていたノスタルジックな風景、ネオジャパネスクな風物詩に過ぎませんが、こういう行事が風化していくのは寂しく、日本の庶民の伝統や文化が消えていく予兆を感じてしまいました。

まあそれにしても母親はふらつくとかしんどいとか言いながらもよく歩けます。
認知症が進行していくと徘徊に気を付けないといけないなあ。

あ、ちなみに、私と母はこの数か月ほどまではこのような穏やかな関係ではありませんでした。
母との関係は私にとって人生前半のエネルギーのほとんどを消耗させられる苦しいものでした。
自分がこの人と接して平常心でいられることが不思議でまるで憑き物がいきなりストンとおちたような感覚で
実のところ最近の私は放心状態です。